新生あきたの市町村
 平成16年11月の「美郷町」誕生から平成18年3月の「八峰町」誕生まで間に、秋田県は、13市9町3村に再編されました。
 このコーナーでは、合併で新しく誕生した市町村をシリーズで紹介しています。

湯沢市

 平成17年3月22日、1市3町村(旧湯沢市、雄勝郡稲川町、雄勝町、皆瀬村)が新設合併

 市章は、「ゆ」の文字をモチーフに、緑は力づよく成長する稲葉や深緑に輝く山々を、青は市内を南北に流れる雄物川の清流を、橙は活力、歴史及び文化を表象している。

■市の概要
 湯沢市は、秋田県の南東部に位置し、宮城県、山形県の両県に接する。秋田県の南の玄関口であり国道13号、108号と398号線で両県と結ばれている。
 また、県内4市町村が隣接しており、東方の奥羽山脈、西方の出羽丘陵に囲まれ、南北を貫流する雄物川とその支流である皆瀬川、役内川沿いに豊かな水田地帯を形成している。県境付近の西栗駒一帯は、雄大な自然林を有しているほか、豊富な温泉群にも恵まれている。秋田わか杉国体においては、ハンドボール(成年男・女、少年男子)の会場となっている。
 

人口 55,156人 (H19.6末住民基本台帳) 湯沢市市民生活部市民課

■歴史
 平安期の謎に包まれた才女「小野小町」は、湯沢市小野が生誕地といわれ、今も多くの史跡や伝承が守り継がれている。鎌倉時代初期に稲庭城を築城し、その後、約400年にわたり統治した小野寺氏は関ヶ原の合戦後、改易処分となったため、藩政期慶長12(1607)からは、藩主一門佐竹南家が湯沢城代(所預)を勤め、その街並みが形成されました。院内銀山が発見され、藩直営の銀山として繁栄し、最盛期には銀山の人口が15,000人に上ったといわれている。

■特産品
 平安期の謎に包まれた才女「小野小町」は、湯沢市小野が生誕地といわれ、今も多くの史跡や伝承が守り継がれている。鎌倉時代初期に稲庭城を築城し、その後、約400年にわたり統治した小野寺氏は関ヶ原の合戦後、改易処分となったため、藩政期慶長12(1607)からは、藩主一門佐竹南家が湯沢城代(所預)を勤め、その街並みが形成されました。院内銀山が発見され、藩直営の銀山として繁栄し、最盛期には銀山の人口が15,000人に上ったといわれている。
稲庭うどん
 日本の三銘うどんの一つに数えられる稲庭うどんが誕生したのは、江戸時代初期のこと。当時稲庭・小沢地区に住んでいた佐藤市兵衛という人が地元産の小麦粉を使って作ったのが始まりとされています。その後、江戸時代中期藩主御用を賜り、次第に生産技術の向上とともに明治以降になって特産品となり、宮内庁への献上をはじめ、各博覧会で数多くの賞を受賞しています。現在は、全国ブランドとして高い評価を受けています。
川連漆器
 鎌倉時代、県南一帯を治めていた小野寺氏がこの地の豊富な材木と漆を生かし、家臣に内職として武具を作らせたのが始まりとされています。その後、会津や京都といった漆器の先進地から高い技術を取り入れ、技術改良を図るなどして現在の礎を築き、昭和51年には国の伝統的工芸品にも指定されました。丁寧な作りの下地と花塗りと呼ばれる美しい塗り、蒔絵や沈金の装飾技術が全国でも高い評価を受けています。

■主な産業
 上記特産品のほか、“東北の灘”と称された醸造地である。
産業別就業者数(平成12年10月1日現在・国勢調査)
1次産業
2次産業
3次産業
14.1%
38.9%
47.0%
商品販売額 73,910百万円(平成15年)
製造品出荷額 78,725百万円(平成17年)

■湯沢市を所在地とする組合(本会会員)
 湯沢市では、18の本会会員組合が活動を展開している。業種別、形態別内訳は次のとおり。
業種別内訳
形態別内訳
製造業(※)
7
火災共済(協)
0
農林水産業
0
企業組合
1
鉱業
1
協業組合
1
建設業
0
事業協同組合
14
卸・小売業
4
協同組合連合会
0
商店街
4
商工組合
0
金融・保険・不動産
0
商店街振興組合
(連合会含む)
2
運輸通信業
0
サービス業
2
その他の産業
0
18
18
※食料品2、繊維1、木材木製品等2、その他2
 

湯沢市に関する詳しい情報は、市のホームページをご覧下さい。(http://www.city-yuzawa.jp/)



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